yuyushiki

 

 

色々な問題から目を反らし、周囲から見られないよう、隠蔽する。

嘘話を創造し、少しずつ自分ではなくなっていく自分を心に飼う。

 

事は大きくなり、ただでは済まなくなる。

それがいつになるのか分からないが、自然と私を待ち構えているのだろう。

 

人は嘘を吐いて嘘を産んで、最後には何を残すのか。

 

嘘を墓場まで持って行けるほどの強さが、人にはあるのか。

 

由々しさを怯えながら、生きてゆくことは人間の定めなのか。

 

 

 

糞というのは

 

「糞」である。

 

人は人を頼りに生きている。

頼ることなしに生きることは不可能である。

 

ある友人が、私を頼る。

お金を貸してほしい。と

 

困っている人を見るとやはり同情の気持ちが勝ち、助けてしまう。

優しさではなく、単なる人としての同情である。

 

その上辺では優しさに見える同情を抱いている自分に虫唾が走る。

「糞」と自分のことを自分で決めつける。

 

愛とは共苦である

 

 

読書が好きな私はある本の一節に引き込まれていった。

 

「愛とは共苦である」

 

「共感」という言葉が常日頃から、存在し、また常識的にも必要とされている社会の中、「共感」を出来る人がこの世に多くいるのだろうか。

 

「お互いの気持ちを考え、お互いの気持ちになること」は可能なのだろうか。

 

私は人に相談を乗ってもらうことが億劫になることがある。

それはその時に人がしてくれている「共感」が「共感」ではないからである。

 

「最近、こんなことがあって、本当に困ったんだよね。」と

愚痴や何かしらの言葉を吐きたくなる時がある。

 

その時に、

「あぁ!私もね/俺もね、こんなことがあって、それと同じこと昔にあったよ。しんどいよね。」

と言われることがある。

 

私の心がねじ曲がっているかどうかはわからないが、相手のその言葉は、「共感」ではなく、「ただの相応する例を挙げている」または「私の話した出来事に対する皮肉」に類する物だと思う。

 

最終的には自分次第の話にはなる。しかし、相手の思う「共感」は「共感」と感じられないことの方が多い気がする。

 

さて、私が読んだ本に書いていた言葉、

「愛とは共苦である」は、

「その人に対して愛する気持ちがあるのであれば、相手と共に苦しいことがあろうとも拒まない。」という意味で私の頭は解釈した。

 

結婚式を挙げる時もそうであるが、「いかなる時も...」的なことを誓う。

それは確かに素晴らしい誓いである。

しかし、常日頃から、考え行動に移せている人はこの世にどれほどいるのだろうか。

 

人のために「共感」ではなく、「共苦」できる人になりたいものである。

 

 

 

8区

 

 

夜の8区。

そこにはどうにもならないほどのゴミが川をお祝いするかのように周りにばらまかれていた。

 

綺麗な夕焼けとともに、私の彼女はそのゴミを踏みつぶしながら、煙草をふかしていた。

 

「ねぇねぇ、私、海外に行く」

 

ふと彼女はそう言って、笑った。

 

煙草の吸殻がゴミの下に落ち、少しずつ火が広がった。

 

少しずつ燃えてゆくゴミを見て、私は何も言わなかった。

 

彼女はいろんな歌でもよく言われている、「自称(自傷)煙草の煙のような女」だったから。

 

彼女は次の日にはこの国にいなかった。

 

彼女が最後に送ってきたテキストが「君はうるさかったよ」だった。

 

訳も分からない私は、「大丈夫だよ。君の私は一生叫び続けて、君を迎えに行くからね。」と返すことにした。

 

彼女は既読。

 

しばらくしてから、私は彼女をついに見つけ出すことができた。

しかし、彼女はもうすでに別の誰かの ――――――奴隷になっていた。

 

私は誰の所有物でもなくなってしまったから、チョコレートとビールを買って、街を歩くことしかできなかった。

 

 

 

独学という独学の波にのまれて居ぬ

 

 

彼は学識のある人であった。

 

私は彼と遭う度に思うことがあった。

 

そう。

「私は、彼のようになれない」

 

劣等感という劣等感を振りかざして、彼と会話していた。

 

劣等感が自虐となり、「ある種の」武器になりつつ、私が発した言葉には常に「とげ」があると、彼にはよく言われたものだ。

 

しかし、彼はそんな私のこともひどくは言わず、「君は頑張っている」と重たい責任を転嫁するような言葉を口にするのであった。

 

その言葉がいつしか、私の心の中に波を与えた。

波の上には私の好きなものがたくさん浮かんでいた。

 

「君は頑張っている」

 

彼の言葉は、私の波を作り、私を波にした。

bu dong

 

 

わかっている。

未来のことまでは見通しがつかないが、

人は未来のことを考えて行動し、生きている。

 

それは否定的な言葉でいえば、

「見えないのに何を見てるのか」と

なるであろうか。

 

きれいごとを話す言葉に毎度のように言う人にとっては

「未来のことを考えることで、未来のために行動することで、

成長できるのである」と言いたくなるのかもしれない。

 

今目の前のことをやっていくことは問題ない。

そのままやり通せばいい。

それがたとえ常識はずれなことであろうとも、自らそれが正しいと判断したことであるなら。

 

人は予測というものができるというが所詮予測なのである。

人は結局本能で動いてしまう。

 

理想とはかけ離れていき、理想というものを見失い、理想という言葉をあえて口に出してみて笑うのである。

 

「運じゃね?」と。

 

運が良ければ物事は自分の気持ちを放置してしまうくらいのスピードで進んでいく。

わからないまま進むことになる。

結局未来は見えない。

ただ、自分のそばにあるのは「運」という予測できない空気。

 

わからないこと。

それは想像するべきことなのだろうか。

未来のこと。

それは今の自分がどうしたいかにかかっているものなのか。

 

きっと、誰にもわからない。

だからこそ、今努力をするのかもしれない。

何も見えない状況で人はがむしゃらになって努力する。

 

何も見えない部屋で。ひとりで。

それは人間に生まれたからこそできることであり、宿命なのだろう。

結局死んだあとは真っ暗なところに抑え込まれるのである。

 

その時がいつ来るのかも、人間は予測できるのであろうか。

 

「いいや、そんなもん、わかるわけないだろう。」

 

black suger

 

 

日々は甘いことも苦いことも溢れている。

それでも、甘みを感じずに時として、甘いものが欲しくなるのは心の甘えが出ているのではないかとすら感じる。

私はここ最近起こった出来事がどうしても自分の甘えが原因だと気づいていた。

 

「惨めである」

私の周りの人はよくこう言う。

人は相手のことを散々けなそうと、愛そうと、信じようと、相手の自由であり、すべて相手の責任ではなく、自分の責任である。

それであっても、この「惨め」という言葉はよく似合うのは私なのかもしれない。

いや、似合うのは私だけでいいのかもしれない。

だた、単純で、自分に甘い、願望である。

 

私はそれでいて、綺麗に見られるように努力した。

「それはそれは無駄な努力で」と心の中で皮肉に笑う私も存在する。

もちろん周囲は「惨め」と言い続ける。

 

変わらないのである。

他人は他人。自分は自分。というけれど、

それは単なる暴論である。

人は人との関わりの中でしか生きれない。

人間というものは人との関わりを切ってして生きることはできない、生きていた存在を証明することができないのである。

 

甘くない世界。

それでいて、人は時として、優しさという技を出す。自分のことを犠牲にして。

本能でできているときもあるだろう。

その優しさがどのように形成されているのかはさておき、

私はどんな優しさにも救われてきた。

 

相手にとって得でしかない優しさであっても、私はそれですら愛せた。

優しさを心の余裕のない人が出すことは難しい。

人は相手のことをどう思っているか推し量り、強いては相手に尋ねることしかできない。

聞いたことの真偽はわからない。

それでも、何かしらの手を差し伸べることができる人は、優しさを持つ勇者に思える。

私は複数の勇者たちと一瞬にして友達になる。

このような言い方をすると、何か誤解が生まれるかもしれないから訂正しよう。

私は初めて出会って、挨拶をし、会話を進めてくれる人とすぐに溶け合うことができる。

アイスブレイクが得意なのである。

それは人との関わりがどんな時でも否めないことを知っていたからだ。

 

勇者たちは私に甘い優しさを一つまみずつ与えてくれるのだ。

溜まればどうなるのかって?

もちろん心にふりかけて心の糖分摂取に努める。

しっかり吸収するにはかなりの時間を有するのは惨めではあるが...

 

惨めな甘さを感じることは一度もないと思っていた。

私は容姿も中身もよくないと自負している。

これは周囲から言われる前からなんとなく理解していた。

散々言われることに慣れているが、私は初めて黒い惨めな甘さに出会うことになったのである。

 

汚い。

暗い。

深い場所。

 

私はある男と出会った。

その男はどこからか吹く風に黒髪をなびかせていた。

暗いながらも顔のパーツがはっきりしているように見えた。

綺麗だった。

それでいて、彼は残酷なことを口にするのだ。

 

「君の名前は?」

「シュラ」

「綺麗な名前だね」

「どうもありがとう」

「ここどこだかわかる?」

「いいえ、あなたはわかっているの?」

「ん、わかっているよ」

「ここはどこなの?」

 

「甘い塊の中」

「...え?」

「僕は君の中にずっといたが、君は気づいてくれなかった。とても残念だ。」

「どういう...」

「シュラ、君は甘い言葉ばかりを貯めて自分の気持ちに向き合うことをしなかった。それがこれの結果だ。自ら心の整理をしようとせず、侮辱されることにも向き合おうとしなかった。人は傷つけあうこともあるが、相手が真実を述べているかもしれない。自分を疑うことはしなかった。それは、自分に甘いのではないのか。」

「わかっていて。。それは...」

 

「シュラ。君が本当に怯えているのはきっと僕だね?」

「あなたは誰なの?」

「僕は本当の君の姿だよ。シュラ。君は自分自身に向き合うことなく、綺麗になろうと努力をしてきただろう。『女』として。周囲は君のことを『惨め』という言葉で表現していただろう。それは君が『女』ではないことを暗に示唆していたのだろう。」

「私は女よ?」

「いいや、君は僕なんだから。もう、誤解しないでほしいよ。君は『僕』なんだよ。」

「あなたのように私は美しくないわ。」

「君はこれを機会に変わっていく。これは強制的にではなく、風のように時間が流れて、そうなってゆく。鏡をふと見ると、いずれは、僕の姿になるんだ。君は『惨め』ではなくなる。」

「それはいいことなの?私は私なのに。」

「シュラはシュラだよ。だって、僕は君だよ。君は僕だから。そう、だからもう、甘い言葉を心に蓄積することは控えめにして、厳しい意見にも耳を澄ませてごらん。きっと、君が、この機会を無駄にしないことは、心の中にいる僕から、そう、シュラ自身から、保証するよ。」

「あなたは見守ってくれていたの?」

「見ていたよ、だが途中で甘いものに囲まれちまって、見えなくなってしまった。もう居心地も最悪だったものだから、ついついシュラに声をかけてしまったってわけさ。僕は君を信じているよ。君は僕。君は綺麗だよ。シュラ。」

 

しばらくして、目が覚めた。

彼は甘い黒い場所に閉じ込められてしまっていた。

それはそれは悲しいこと。

これこそ、惨めと言わざるを得ない。

 

私は彼の言っていたことを忘れずに自分に向き合うことにした。

 

いや、

私ではなく、僕である。