bu dong

 

 

わかっている。

未来のことまでは見通しがつかないが、

人は未来のことを考えて行動し、生きている。

 

それは否定的な言葉でいえば、

「見えないのに何を見てるのか」と

なるであろうか。

 

きれいごとを話す言葉に毎度のように言う人にとっては

「未来のことを考えることで、未来のために行動することで、

成長できるのである」と言いたくなるのかもしれない。

 

今目の前のことをやっていくことは問題ない。

そのままやり通せばいい。

それがたとえ常識はずれなことであろうとも、自らそれが正しいと判断したことであるなら。

 

人は予測というものができるというが所詮予測なのである。

人は結局本能で動いてしまう。

 

理想とはかけ離れていき、理想というものを見失い、理想という言葉をあえて口に出してみて笑うのである。

 

「運じゃね?」と。

 

運が良ければ物事は自分の気持ちを放置してしまうくらいのスピードで進んでいく。

わからないまま進むことになる。

結局未来は見えない。

ただ、自分のそばにあるのは「運」という予測できない空気。

 

わからないこと。

それは想像するべきことなのだろうか。

未来のこと。

それは今の自分がどうしたいかにかかっているものなのか。

 

きっと、誰にもわからない。

だからこそ、今努力をするのかもしれない。

何も見えない状況で人はがむしゃらになって努力する。

 

何も見えない部屋で。ひとりで。

それは人間に生まれたからこそできることであり、宿命なのだろう。

結局死んだあとは真っ暗なところに抑え込まれるのである。

 

その時がいつ来るのかも、人間は予測できるのであろうか。

 

「いいや、そんなもん、わかるわけないだろう。」